- 外国人もAIもロボットも嫌なら、まず、あなたがやってください
昨日のまとめ
昨日は、中国のロボット運動会と、アメリカ1X社の家庭用ロボット「NEO」について書きました。
中国のロボットは、転ぶ。ぶつかる。壊れる。 それでも直して、また動かす。 そして嬉しかったのは、日本から唯一参加したGMOインターネットグループのロボット「ひとみん」の健闘でした。
400mを完走し、ゴール直後に転倒。 頭部を故障するも、修理して準決勝に出場。 そこでまた転倒。 それでも1500mに出場し、今度は見事に完走を果たしました。
私はこの話がとても好きです。 なぜなら、「失敗したら損」という日本社会の空気とは、まったく逆の姿だからです。
日本では「余計なことをしない人」が安全
会社員生活が長いと、何度もこんな光景を目にします。
去年と同じことをやる。 前任者と同じことをやる。 他社と同じことをやる。 それなら大きな問題にはなりません。
ところが誰かが「この方法、変えたほうがいいんじゃないですか」と言って新しいことを始め、そして失敗する。 すると、周りは途端に責め立てます。 「だから言っただろう」 「余計なことをするからだ」 「誰が責任を取るんだ」
だったら何もしないほうが得です。 前例通り。去年通り。みんなと同じ。 これなら失敗しても、「従来の手順に従いました」と言い訳ができます。
個人にとっては非常に合理的な生き方です。 しかし、国全体で誰もがこれをやってしまうと、「何も変わらない国」になってしまいます。
汽車が来ると牛が乳を出さなくなる
日本に鉄道が敷かれ始めた明治時代にも、さまざまな反対意見がありました。 「汽車はうるさい」 「煙が農作物に悪い」 「火の粉で火事になる」 「家畜が驚いて乳を出さなくなる」 「宿場町が廃れる」
実際のところ、駅が旧市街から離れた場所につくられた背景には、土地取得の問題や地形、線路の勾配など複合的な事情がありました。「住民が汽車を嫌ったから町外れに駅ができた」と単純化して説明するのは正しくありません。 しかし、当時の人々に「新しいものへの不安」が強かったのもまた事実でしょう。
そして100年以上たった今、「なんで駅がこんな町外れにあるんだ。不便だな」と言っていたとしたら、実に皮肉な話です。 当時としては合理的だった判断が、未来から見ると大きな不便や停滞につながる。 これは、現代のロボットやAIをめぐる議論でもまったく同じことが言えるのではないでしょうか。
「今までと同じ」は、本当に美徳なのか
日本では、人と違うことをする、失敗する、目立つ、といった行動をあまり好まない傾向があります。 もちろん、協調性、慎重さ、品質へのこだわり、安全性の重視は日本の素晴らしい美徳です。
私も、中国のように「とりあえずやってみよう。事故が起きたらそのとき考えればいい」と何でもかんでも進めればよいとは思いません。原子力発電所や医療システムで「失敗も経験です!」とやられたら困ります。
ただ、「安全を重視すること」と「失敗を一切許さないこと」は別です。 失敗できる場所では、小さく失敗する。 失敗したら直す。 そしてもう一度やる。 GMOの「ひとみん」が北京でやったのは、まさにそれでした。
中国のSI会社副社長に言われた一言
数年前、中国の大手SI(システムインテグレーション)会社の副社長と話す機会がありました。 私はIT業界で営業をしていましたから、中国のIT技術者と日本で仕事をすることも日常的でした。
そこで私は、ふと聞いてみたのです。 「そんなに中国の技術者って、日本に必要なのですか?」
すると、その副社長はあっさりと言いました。 「日本のデジタル化は非常に遅れていますから。やることはいくらでもありますよ」
当時は「なるほどね」くらいに受け止めていましたが、今になると、その言葉の重みをひしひしと感じます。
日本には確かに「やること」が山ほどある
古い基幹システム。何十年も使い続けているプログラム。Excel、紙、FAX、手入力。同じ数字を違うシステムへ手作業で転記。 担当者しか分からない業務。担当者が定年になったら誰も触れないシステム――中には「触ると壊れるから絶対に触るな」と言われているシステムまで存在します。
政府も企業もDX(デジタルトランスフォーメーション)を声高に叫んでいます。 だったら、IT技術者はいくらいても足りないはずです。
ところが、実際のシステム開発の現場(案件定義)を見ると、今ではほとんどの条件が 「外国籍不可」です。
セキュリティ上必要なら分かる
もちろん、何でも外国籍OKにすればいいとは思いません。 防衛、政府機関、重要インフラ、金融の基幹情報、企業秘密、国家安全保障に関係する技術など、アクセスできる人間を厳しく限定すべきシステムは当然あります。これは国籍以前の問題です。
問題なのは、本当にそこまで制限する必要があるのか疑問に思うような一般的なシステム案件まで、一律で「外国籍不可」になっている点です。
技術力を見る前に不可。
日本語能力を見る前に不可。
職歴を見る前に不可。
本人を見る前に不可。
これでは、「IT技術者が足りません」と悲鳴を上げながら、自分から入口を半分閉めているようなものです。
コンビニでは外国人が働いているのに
街へ出れば、コンビニでも飲食店でも多くの外国人が働いています。 物流、介護、建設、農業、製造――いまや日本社会の現場は、外国人労働者なしには成り立ちません。
ところが時折、「外国人が日本人の仕事を奪っている」という声が上がります。 もちろん、移民政策には慎重な議論が必要です。治安、社会保障、教育、住宅、言語、文化の壁、地域社会との共存など、簡単に答えが出ない課題がたくさんあります。
しかし、それとは別に、私は一つ聞いてみたくなるのです。 「では、その仕事をあなたがやるのでしょうか?」
外国人は嫌、でも自分もやらない
深夜のコンビニ。真夏の建設現場。物流倉庫。介護施設の夜勤。農作業。 人手不足だからこそ、外国人の人たちが働いてくれています。その人たちに向かって「日本人の仕事を奪うな」と言う。 では、外国人がいなくなった翌日から、その現場を日本人が埋めるのでしょうか。
「いや、それはちょっと……」となってしまうなら、議論の筋が通りません。 そして私は、この構図が数年後、ロボットの普及現場でもそのまま起きるのではないかと危惧しています。
今度は「ロボットが仕事を奪う」?
人型ロボットが工場で働く。倉庫で荷物を運ぶ。ホテルを掃除する。介護施設で高齢者を支える。家庭で掃除や洗濯をする。 そうなったとき、おそらく必ずこう言う人が出てきます。
「ロボットが人間の雇用を奪う」 「人間をクビにしてロボットを使うな」 「ロボットを規制しろ」
外国人に仕事を奪われる。AIに仕事を奪われる。次は、ロボットに仕事を奪われる――。 ですが、外国人は嫌。AIも嫌。ロボットも嫌。そして自分もその仕事はしたくない。

そうなったら、少々乱暴な言い方ですが、「だったら、まずご自身で働いてください」と言いたくなってしまいます。
技術とは、昔から人間の仕事を奪うものだった
よく考えてみれば、技術の進歩とは「人間が手で行っていた仕事を機械に肩代わりさせてきた歴史」そのものです。
何万人もの手作業が必要だった土木工事を重機が行う。 大勢で汗を流していた農作業をトラクターやコンバインが行う。 駅の改札は自動改札機になり、高速道路の料金所はETCになりました。 銀行窓口の仕事はATMやネットバンキングへ移り、かつての花形職業だった「電話交換手」は姿を消しました。
コンピューターが登場したときも「人間の仕事がなくなる」と大騒ぎになりました。 確かになくなった仕事はあります。しかし同時に、かつては存在しなかった新しい仕事が大量に生まれました。
私が社会人になったころ、Webエンジニアという職種はありませんでした。クラウドエンジニアも、スマートフォンアプリ開発者も、AIエンジニアもいません。「SES」なんて言葉すら一般的ではありませんでした。
技術は古い仕事を消し、新しい仕事をつくる。人類はずっとその繰り返しです。
本当に怖いのは「私の仕事がなくなる」ことではない
もちろん、自分自身の仕事が奪われるかもしれない恐怖は理解できます。 「社会全体で見れば新しい仕事が生まれます」と言われたところで、明日自分が失業したら生活に困るからです。だからこそ、セーフティネットとしての失業対策や学び直し(リスキリング)、職業訓練は不可欠です。ここを「技術革新の痛みなのだから仕方ない」で切り捨ててはいけません。
しかし、国全体という視野で考えたとき、もっと恐ろしいことがあります。 それは、日本という国そのものに仕事が来なくなることです。
世界は日本の会議が終わるまで待ってくれない
中国は、ロボットをつくり、走らせ、転び、データを収集し、直し、翌日また走らせる。 アメリカは、家庭用ロボットを市場に投入し、できない作業は人間が遠隔支援しながらデータを集め、急速に改良を進める。
そして今回の日本のGMO。中国製のロボットに自社の制御技術を載せ、北京へ乗り込み、走らせ、転び、頭部を壊し、現地で修理して、もう一度走らせる――。
これこそが、本物の技術開発です。
一方で、私たちはどうでしょうか。
「外国籍は不可です」
「生成AIは情報漏洩が心配なので利用禁止です」
「ロボット導入は安全性が完全に確認できてからです」
「前例がありません」
「万が一事故が起きた場合の責任分界点を検討します」
「関係部署との調整が必要です」
「……来年度も継続して検討します」
冗談なら笑えますが、笑えない現実がそこにあります。 世界は、日本の会議が終わるまで待ってはくれません。
日本にも「ひとみん」がいる
だからこそ、私は今回GMOのニュースを知って救われる思いがしました。 日本の企業すべてが、失敗を恐れてすくみ上がっているわけではない。リスクを取って中国へ乗り込んだ企業がある。 日本代表が転ぶ姿を世界中にさらすリスクを引き受けて挑戦したのです。
本体が中国製であることに対して、「純国産じゃないじゃないか」と冷ややかな声を上げる人がいるかもしれません。 ですが、そんな批判は実にどうでもいいことです。
世界中の優れたハードウェアを活用すればいい。中国製のハードウェアに、日本の優れたソフトウェアを載せ、世界舞台で勝負する。そのほうがよほど現実的でスマートです。 「すべて国産でなければ負けだ」などとこだわっている間に、私たちは本当にすべてを失ってしまいます。
「失敗しない国」より「失敗から戻れる国」
中国のやり方がすべて正しいとは思いません。アメリカのやり方がすべて正解だとも思いません。日本の慎重さや徹底した品質管理には、世界に誇るべき大きな価値があります。
しかし、今の日本に最も必要なのは「絶対に失敗しないこと」ではなく、「失敗しても、何度でもそこから立ち直れること」ではないでしょうか。
小さく試す。 転ぶ。 原因を調べる。 直す。 もう一度やる。
失敗した人に対して「ほら見たことか」と笑うのではなく、「次はどう修正する?」と問いかける。そんな社会であってほしいと思います。
転んだロボットを笑うのか、起こすのか
昨日書いたブログで触れた中国のロボットたち。 何台も派手に転んでいました。ネットではそれを嘲笑する人もいます。 しかし、中国の技術者たちに笑っている暇などありません。転んだロボットをすぐに起こし、データを解析し、また走らせます。
そしてその大会で、日本のGMOの「ひとみん」も転びました。 でも、その場で修理し、また走りました。
日本が進むべき道は、絶対にこちら側です。
「外国人に仕事を奪われる」 「AIに仕事を奪われる」 「ロボットに仕事を奪われる」 そう言って警戒し、入口を閉じ続けた結果、最後に突きつけられる現実――。 それは「仕事を奪われた」のではなく、「世界から日本への仕事そのものが来なくなった」という手遅れの未来です。
転んだ挑戦者を笑っている場合ではありません。 これから大切なのは、「一度も転ばなかったのは誰か」ではなく、「誰が一番早く起き上がったか」です。
北京のグラウンドで倒れ、そして再び走り出した「ひとみん」の姿を見て、私はそんなことを強く考えさせられました。


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