- 頼りになるのはごみ出しの日
以前は日曜の夕方が憂鬱でした
会社員として働いていた頃、「今日は何曜日だっけ?」などと考えることは、ほとんどありませんでした。
月曜の朝は「また一週間が始まった……」と目覚まし時計を恨めしく見つめ、水曜には「ようやく半分か」と自分を励ます。金曜になれば「今日一日頑張れば休みだ!」と足取りが軽くなり、日曜の夕方には番組を見ながら「明日からまた仕事か……」と勝手に憂鬱になる。
会社員にとって曜日とは、単なるカレンダーの分類ではありません。月曜は敵、金曜は味方。曜日にはそれぞれ明確な役割がありました。
ところが年金生活になり勤めに行かなくなると、その存在感は急速に薄れていきます。
朝起きても、今日は何曜日か分からない
最近、朝起きて最初に思うことがあります。 「今日は……何曜日だ?」
もちろん記憶喪失ではありません。スマホもカレンダーもPCもあります。情報はいくらでもあります。ただ、確認する必要がなくなったのです。これが大きい。
会社員なら曜日によって行動が変わりますが、年金生活では何曜日だろうとやることは変わりません。朝起きて顔を洗い、ラジオ体操に行って、新聞を見て朝ご飯。コーヒーを飲み、天気が良ければ散歩に行き、気が向けば車で出掛ける。毎日が日曜日に近い状態です。これを自由と呼ぶべきか、曜日感覚の喪失と呼ぶべきか。難しいところです。
テレビ番組と夫婦の会話
そんな生活でも、夜になるとテレビ番組で曜日を思い出します。 「このクイズ番組があるから月曜か」「この番組なら週末だな」。長年見ている番組表が、時計代わりの「曜日代わり」になるのです。
ところが朝にはそれがありません。情報番組は毎日似た内容で、ニュースに天気予報、大谷選手の話にグルメ情報。これでは曜日判定に使えず、夫婦の朝はこうなります。
「今日、何曜日?」 「えーっと……水曜じゃない?」 「昨日、何してた?」 「買い物」 「それじゃ分からん」
二人で考え込む姿は、まるで運転免許更新の高齢者講習での記憶力テストです。会社に行かなくなった途端、曜日という情報の優先順位が暴落したのでしょう。
年金生活者に残された曜日感覚
そんな生活で、唯一曜日を強烈に意識させてくれるのが「ごみの日」です。
曜日感覚を失った身を辛うじて現実につなぎ止めているのが、自治体のゴミ収集カレンダー。「今日は燃えるごみの日だから水曜日だ」と、完全に主客逆転しています。
生ごみの日は台所にごみがたまるので嫌でも気づきますが、問題は「資源ごみ」と「不燃ごみ」です。
空き缶やペットボトルは分かります。しかし、金属とプラスチックが一体になったものや壊れた小物になると一気に自信がなくなります。
「これ、資源ごみ?」 「不燃ごみ」 「なんで?」 「燃えないから」 「でも温度を上げれば大抵のものは燃えるぞ。ダイヤモンドだって炭素なんだから……」 「ごみ出してきて」

科学的な議論は、家庭内のごみ出しには何の役にも立ちません。妻にとって重要なのは「今日どの袋で出すか」、それだけです。
会社員時代とは違う時間の流れ
考えてみれば、会社員時代の生活は曜日だけでなく、時間まで細かく区切られていました。
朝何時に起きる。何時の電車に乗る。何時までに会社に着く。昼休みは何時。会議は何時。退社は何時。
常に時計とカレンダーに追い掛けられていました。
年金生活になれば、それがなくなります。
もちろん、病院の予約や人と会う約束があれば時間は確認します。
しかし、何も予定がなければ、「今日は水曜日だから何をする」という発想そのものがありません。
天気の方が重要です。
晴れていれば出掛ける。
雨なら家にいる。
暑ければ朝のうちに歩く。
寒ければ昼から出る。
会社員時代には曜日を中心に生活していたのが、今では天気や体調を中心に生活している。
考えてみれば、これはずいぶん大きな変化です。
曜日から解放された贅沢
「今日は何曜日だっけ?」と言っていると、いかにも年寄りになった気がします。しかし、何曜日か分からなくても困らないというのは、考えようによってはかなり贅沢なことです。
日曜の夕方に憂鬱になることもなく、月曜の朝に目覚ましを恨むこともない。長い会社員生活を終えたからこそ手に入った「曜日からの解放」と言えます。今では曜日ではなく、天気や体調を中心に一日が動いています。
ただし、完全に解放されるわけではありません。病院の予約もありますし、何よりゴミ収集車はこちらの都合など待ってくれません。
だから今日も朝から、妻に確認します。
「今日、何曜日?」 「スマホ見たら?」 「あ、月曜日か。で、今日のごみは何?」
結局、重要なのはそちらです。
「これ、資源ごみでいいの?」 「不燃ごみ」 「でもな、金だって温度を……」 「早く出してきて」
はい。行ってきます。


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