- ITに遅れた日本の老人を、厳しくもやさしく見守る
今年、運転免許の更新があります。 そして今、私は少し頭を悩ませています。
従来どおりの「運転免許証」だけにするか。 マイナンバーカードに免許情報を統合した「マイナ免許証」だけにするか。 それとも、従来の免許証とマイナ免許証の「両方」を持つか。
マイナンバーカードは、健康保険証として使われるようになってから、以前に比べるとかなり認知度が上がりました。病院や薬局の受付でも「マイナ保険証はお持ちですか」と聞かれることが増えました。最初は戸惑っていた人たちも、受付の機械にカードを置き、暗証番号を入力するか顔認証を行うという一連の流れに、少しずつ慣れてきたように見えます。
しかし、運転免許証となると話は少し違ってきます。 健康保険証は、いずれマイナ保険証へ一本化されていくという明確な流れが見えていました。ところが、運転免許証は今のところ「選択制」です。従来の免許証だけでもいい。マイナ免許証だけでもいい。両方持ってもいい。 選べるというのはありがたいことですが、選択肢があるからこそ、私たちは迷ってしまうのです。
特に高齢者にとっては、「新しい制度です」「便利になります」と言われるほど、かえって身構えてしまうところがあります。
「便利になります」 「手続きが簡単になります」 「オンラインでできます」
そう言われた瞬間に、頭の中で警戒警報が鳴り響くのです。 「また何か新しいことを覚えなければいけないのか」 「暗証番号はどれだったか」 「万が一、カードをなくしたらどうなるのか」 「結局、窓口に行く必要があるなら、何が便利なんだろうか」
若い人なら、スマホでサッと調べて、アプリを入れて、「まあ、何とかなるだろう」と思えるのかもしれません。ところが、こちらは昭和生まれです。しかも、まもなく67歳を迎える立派な老人です。
仕事現役時代はパソコンを使ってきました。表計算も文書作成もこなしてきたし、システム開発の営業としてそれなりにITを扱ってきた自負もあります。だから、自分はどちらかといえば「ITに強い方」だと思っていました。 しかし、昨今の世の中のIT化は、かつて仕事で使っていたパソコンとはまったくの別物になってきました。
マイナポータル。 電子証明書。 署名用電子証明書の暗証番号。 利用者証明用電子証明書。 ワンストップサービス。 オンライン講習。
カタカナと専門用語の羅列だけで、すでにお腹いっぱいです。 そこで、まずは頭を整理するために、3つの選択肢を一覧表にしてみました。
【マイナ免許証・3つの選択肢とメリット・デメリット】
| 選択肢と内容 | メリット(長所) | デメリット(注意点) | 私の印象 |
| ① 従来の運転免許証のみ (今までどおり、緑や青やゴールドの免許証だけを持つ) | ・いちばん分かりやすい ・券面で有効期限や免許の種類がひと目で分かる ・レンタカー、本人確認、海外渡航時にも説明が不要 | ・住所変更などの際、従来どおり警察署等での手続きが必要 ・オンライン更新時講習など、マイナ免許証向けの便利機能は使えない | 安心感はある。 ただし、「何も変えない」という現状維持の選択でもある。 |
| ② マイナ免許証のみ (マイナンバーカードに免許情報を記録し、従来の免許証は返納する) | ・持ち歩くカードが1枚で済む ・更新手数料が比較的安い ・住所変更ワンストップの対象になる ・優良・一般運転者ならオンライン講習が使える | ・マイナンバーカードを常に携帯することになる ・券面だけでは有効期限などの免許情報が分からない ・紛失時の心理的・手続き的負担が大きい ・海外で国際免許を取得する際などに不便な場合がある | いちばん先進的。 だけど、老人には少しハードルが高くて怖い。 |
| ③ 従来免許証 + マイナ免許証の両方 (従来の免許証も維持しつつ、マイナンバーカードにも免許情報を入れる) | ・従来免許証の安心感を残せる ・オンライン更新時講習などのメリットも受けられる ・移行期間の選択肢として分かりやすい | ・持ち歩くカードが2枚になる ・更新手数料は安くならない(むしろ少し高くなる) ・住所変更は連動するが、従来免許証の「裏書き」のために結局警察の窓口へ行く必要がある | 現実的な妥協案。 ただし、良く言えばハイブリッド、悪く言えば中途半端。 |
こうして並べてみると、意外に単純な話ではないことが分かります。 「デジタルだから便利」「アナログだから古い」という単純な二元論ではありません。
マイナ免許証だけにすれば、確かにカードは1枚にまとまります。更新手数料も安くなり、条件を満たせばオンライン講習も受けられます。住所変更の際も、市区町村の窓口でマイナンバーカードの住所変更をすれば、警察への変更届を省略できる「ワンストップサービス」の仕組みがあります。これは、引っ越しの多い人にとっては画期的な便利さでしょう。
ただし、私の場合、今の家に引っ越したのは62歳のときです。ローンはなく、駅と総合病院を結ぶバス路線も通っています。終の棲家(ついのすみか)とまでは言いませんが、そう簡単にまた引っ越すつもりはありません。つまり、住所変更ワンストップのメリットは、私にとってはあまり大きくないのです。
オンライン更新時講習も一見、便利そうです。「優良運転者(ゴールド免許)」や「一般運転者」という条件はありますが、マイナ免許証を持って必要な連携を済ませておけば、自宅にいながらスマホやパソコンで講習動画を受けられるようになります。
しかし、ここにも「高齢者ならではの落とし穴」があります。 オンライン講習を受けても、それだけで免許更新のすべてが自宅で完結するわけではありません。視力検査や写真撮影、新しい免許証の発行(またはデータの書き換え)のために、結局は警察署や運転免許センターへ足を運ぶ必要があるのです。
「オンラインでできます」と聞くと、つい「家にいながら全部終わる」ような錯覚を覚えてしまいますが、実際には「講習部分だけがオンライン」です。 もちろん、それでも講習室でじっとビデオを見る時間が短縮されるのは便利です。けれども、私のように視力検査がだんだん怪しくなってきた老人にとっては、更新における最大の関門は講習ではなく「視力検査」そのものです。あのランドルト環の切れ目が右なのか左なのか、あの数秒間のプレッシャーを突破することの方が、よほど大問題なのです。
では、なぜ「マイナ免許証一本」にするのがこれほど怖いのでしょうか。 一番の理由は、やはりマイナンバーカードを常に財布に入れて持ち歩くことになる点です。 マイナンバーカードは強力な身分証明書であり、健康保険証でもあり、電子証明書も入っています。役所の手続きにも使うその大切なカードに、さらに免許情報まで紐付ける。便利といえばこれ以上ない便利さです。
しかし、それを「落としたとき」の心理的ダメージを想像すると、身がすくみます。 財布を落とすだけでも血の気が引くのに、その中にマイナンバーカード、免許証、クレジットカード、キャッシュカードがすべて詰まっていたら、ショックのあまり一日では立ち直れません。
もっとも、ここで少し冷静になって技術的な側面を調べてみると、カードのICチップの中に私のすべての免許データが直接書き込まれるわけではないそうです。万が一カードを落としたとしても、警察の専用システムがなければ中身が他人に丸見えになるわけではない。そこは、少し安心してもいいポイントのようです。
それに、従来の運転免許証だって十分に重要な身分証明書です。現金だって落としたらほぼ戻ってきませんし、クレジットカードも紛失すればすぐに利用停止の手続きが必要です。それなのに、マイナンバーカードだけを特別に怖がるのは、論理的な理由というよりも、単に「使い慣れていないから怖い」という感情のせいなのかもしれません。
ここに、日本の高齢者の弱点があります。
「マイナンバーカードは怖い」 「スマホ決済は怖い」 「ネット銀行は怖い」 「オンライン手続きは怖い」
そう言ってデジタルを遠ざける一方で、商店街のポイントカードの申込書には、自分の住所、氏名、生年月日、電話番号を実に見事な筆跡でサラサラと記入します。
「紙だから安心」 「対面だから安心」 「昔からあるから安心」
本当にそうでしょうか。その紙の申込書は、一体誰がどのように管理しているのでしょう。いつ、どうやって廃棄されるのでしょう。鍵付きの保管庫にあるのか、それともカウンターの裏に置かれているだけなのか。アルバイトの人が盗み見ないという保証はどこにあるのでしょうか。 それなのに、スマホやマイナンバーの仕組みになった途端、急に「個人情報が心配だ」と言い出す。心配すること自体は決して悪くありませんし、むしろ個人情報を軽く考えすぎる方が危険です。ただ、私たちが「怖がっている対象」は、少しズレているのではないかと思うことがあります。
新紙幣が発行されたときもそうです。多くの人が新しいお札を喜んで手に取りました。渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。デザインが変わるのは新鮮で楽しいものです。 しかし、現金は落としたらそれまでです。盗まれても、基本的に銀行のような補償はありません。それでも「現金は安心、キャッシュレスは怖い」となってしまう。これも結局は、仕組みの安全性というより「慣れ」の問題なのでしょう。
「日本の高齢者は、世界で一番ITに遅れた国民かもしれない」 少し厳しい言い方ですが、私は本気でそう思うことがあります。 分からないことが悪いのではありません。本当に問題なのは、「はじめから覚えようとしないこと」です。
「私は機械のことは分からないから」 「こんな難しいこと、私には無理」 「困ったら誰かに聞けばいい」 「若い人にやってもらえばいい」
これらの言葉を便利な逃げ道にしてしまうと、何年たっても世界は変わりません。 最初からすべてを理解している人など、この世に一人もいません。スマホも、パソコンも、キャッシュレスも、マイナポータルも、最初は誰だって初心者です。 触ってみる。間違える。やり直す。また触ってみる。私たちはそうやって、新しい道具を自分のものにしてきたはずです。
ところが、高齢になると「失敗すること」そのものが異様に怖くなります。若いころなら笑って済ませられた失敗も、年齢を重ねると自尊心に障るようになります。 「こんな簡単なことも分からないのか」と思われたくない。 「ボタンを押し間違えて、大変なことになったらどうしよう」と不安になる。 「だったら、最初からやらない方が安全だ」という結論に落ち着いてしまう。 その気持ちは、痛いほどよく分かります。なぜなら、私自身もまったく同じだからです。
私はITには比較的強い枠にいるつもりで生きてきました。仕事でも長年パソコンを使い、ExcelもWordも扱い、ネット銀行も証券口座も電子申告(e-Tax)も、それなりに使いこなしています。 しかし、自宅の「洗濯機の説明書」を開いた瞬間、私の脳は完全にフリーズします。
最近の洗濯機は、ただ水を入れて衣服を回すだけの機械ではありません。標準、おしゃれ着、すすぎ1回、槽洗浄、乾燥、予約、節水、エコ、柔軟剤自動投入……。 ボタンはやたらと多い。液晶の表示は信じられないほど小さい。説明書は辞書のように分厚い。しかも、似たような専門用語が何度も繰り返し出てきます。
私は洗濯機の前に立つと、急に「何も分からない老人」になります。 「これは、一体どのボタンを押せばいいんだ」 「この点滅しているランプは何を意味しているんだ」 「途中で無理やり止めたら、壊れてしまうんじゃないか」
スマホが使えない高齢者を見て心の中で少しイライラしていた私が、洗濯機の前では、全く同じように途方に暮れた顔をしているのです。 つまり人間は、「自分が使い続けてきた道具」には強いけれど、「使ってこなかった道具」には滅法弱い。ただそれだけのことなのかもしれません。

では、今年の免許更新で、私はどうするべきか。
現時点での結論を言えば、いきなりマイナ免許証一本に絞るのは、やはり少し抵抗があります。理由は単純です。
- マイナンバーカードを常に携帯することへの心理的抵抗がまだ残っている。
- 券面で免許の有効期限や条件をすぐ確認できないのが、どうしても不安。
- レンタカーの受付や日常の本人確認で、従来の免許証の方が出しやすそうな場面がまだありそう。
一方で、従来免許証のままで新しい変化を一切試さないというのも、なんだか自分自身のプライドが許しません。 「日本の高齢者はITに遅れている」などと偉そうなコラムを書いている本人が、いざ自分の番になったら新しい制度から逃げ回っているようでは、何の説得力もないからです。
そう考えると、私にとって最も現実的な選択は「両方持ち」ということになります。
従来の運転免許証は手元に残す。 同時に、マイナンバーカードにも免許情報を入れてみる。 これなら、これまでの安心感をしっかりと維持しつつ、マイナ免許証という新しい時代の制度にも片足を突っ込むことができます。
確かに、両方持ちには中途半端さがあります。財布の中のカードは1枚増えますし、更新手数料も安くなりません。住所変更のデータ自体はワンストップで連動するものの、従来の免許証の裏面に新住所を記載してもらうためには、結局警察の窓口に出向く必要があります。
それでも、いきなり100%デジタルに完全移行するよりは、このグラデーションのような進み方こそが、私たち老人の歩幅に合っている気がするのです。
日本の高齢者は、確かに
ITに弱い。
新しい制度に弱い。
暗証番号に弱い。
アプリに弱い。
横文字に弱い。
だけど、弱いからといって、社会の変化からすべてをシャットアウトする必要はありません。
分からないなら、分かるところから始めればいい。
怖いなら、怖くない範囲で少しずつ試せばいい。
一度で覚えられない暗証番号なら、紙に書いて秘密の場所に保管しておけばいい。
ただし、「よく分からないから、全部やらない」という頑なな姿勢からは、そろそろ卒業した方が良さそうです。
年齢を重ねると、社会の変化のスピードについていくのが億劫(おっくう)になります。それは人間の脳の仕組みとして、ごく自然なことです。 しかし、面倒だからといってすべての変化を避けて通っていると、やがて自分の生活そのものが、少しずつ不便で行き詰まったものになっていきます。
病院の受付。銀行の手続き。税金の納付。保険証。免許証。役所への申請。 世界は私たちの都合とは関係なく、少しずつ「デジタルを前提にした社会」へと確実にシフトしています。 その流れに対してどれだけ文句を言っても、時代の時計の針を巻き戻すことはできません。ならば、多少の愚痴をこぼしながらでも、少しずつ新しい仕組みに触れていくしか生きる道はないのです。
マイナンバーカードを免許証にするかどうか。 これは、単なる「カードの持ち方」の話ではありません。 「これからの老後、どこまで新しい社会の仕組みに付き合っていくか」 「自分の中の『未知への不安』と、どう折り合いをつけていくか」 「『もう年だから分からない』を言い訳にしないでいられるか」 そんな、自分自身への小さな挑戦状のような気がしています。
今年の免許更新。 私はおそらく、従来免許証とマイナ免許証の「両方持ち」という、なんとも欲張りで中途半端な選択をすると思います。 完全なデジタル最先端老人にはなれません。かといって、過去の遺物だけを頑なに握りしめて、変化から逃げ切るだけの老人にもなりたくありません。
片手に従来の運転免許証。 もう片手にマイナンバーカード。
実に中途半端で、実に私らしい姿です。でも、65歳を過ぎた老人のIT化なんて、最初はそのくらいの「どっちつかず」から始めるのでちょうどいいのではないでしょうか。
さて、無事に免許の更新手続きが終わって帰宅したら、今度はあの分厚い洗濯機の説明書をもう一度開いてみようと思います。 最新のマイナ免許証システムよりも、我が家の洗濯機を完璧に使いこなすことの方が、私にとっては遥かに高い壁かもしれません。


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