- 大阪でのOB会では一番若い気でいたのに
電車の車内での事件
先日、電車に乗っていたときのことです。 目の前に立った若い方が、実に爽やかに声をかけてきました。
「どうぞ、座ってください」
えっ? 一瞬、頭の中が真っ白になりました。 どうやらその若者は、私に席を譲ろうとしてくれているのです。
いやいや、ちょっと待ってください。 私は確かに67歳です。世間一般では立派な高齢者。65歳からが高齢者ですから、2年も前から「高齢者クラブ」の正規会員です。 そんなことは自分でも重々承知しています。
しかし、です。 心の中の私は、まだまだ「ナウい若者」のつもりなのです。 少なくとも、電車で席を譲られるほど「おじいちゃん」に見えるはずがない。……いや、見えないと思いたかった!
ところが目の前の若者は、そんな私のちっぽけな乙女心(?)など知る由もありません。 ただただ、素晴らしい親切心で席を譲ってくれているのです。 ありがたいことです。本当にありがたいことなのですが……。
(俺って、外から見たらそんなに『THE・おじいさん』なのか……?)
心の中で、まあまあの規模のマグニチュードの衝撃が走りました。
大阪のOB会では、まだ若く見えた(つもりだった)
実は、先日、大阪で昔勤めていた会社のOB会に参加してきたばかりでした。 私が20代の駆け出しだった頃の、思い出深い会社の当時のメンバーの集まりです。 実に40年ぶりという懐かしい顔にも再会しました。
40年ですよ。 当時ピチピチだった若者たちが、今や順調に60代、70代。 変わっていないわけがありません。 顔を見ても誰だかさっぱり分からず、名前を聞いて昔の面影を必死に探して、 「ああーっ! お前か!!」 となる始末です。
頭頂部がすっかり寂しくなった人。 お腹が立派な貫禄を蓄えた人。 お顔に深い年輪を刻んだ人。 ……もっとも、向こうも私の顔を見て同じことを思っていたのでしょうけれど(笑)。
そんな懐かしい面々と昔話に花を咲かせながら、私は心の中でひそかにガッツポーズをしていました。 「ふふん。俺はこのメンツの中なら、かなり若く見える方じゃないか?」
もちろん、誰かが「よたろー、若いね!」と褒めてくれたわけではありません。完全な自己申告、都合の良い自己評価です。 自分のことは棚に上げて、同期たちの老け具合ばかりを観察していたわけですね。
そんな小さな勝利宣言とプライドを胸に抱き、大阪から帰ってきたのです。
そこへ来て、あの電車の「どうぞ」です。 大阪では若手気取りだったのに、電車の中では一瞬で「要介護手前の親切対象」として認定されてしまいました。 しかも相手は先入観ゼロの第三者。容赦のない客観的評価です。うーん、判定が厳しい!
他人の老化には敏感、自分の老化には超鈍感
考えてみれば、40年ぶりに会った仲間が老けて見えるのは当たり前です。 私の脳内メモリには「40年前のピチピチな顔」が保存されているので、その差分に驚くわけです。
一方、自分の顔は毎日鏡で見ています。 髪が一本抜け、シワがミリ単位で刻まれても、日々のマイナーチェンジには気づきません。 昨日の自分と今日の自分はほぼ一緒。その小さなアップデートを毎日繰り返した結果、無事に67歳が完成したわけです。
しかし、たまに会う人から見れば「40年分の変化が一気にドカン」と押し寄せる。 きっと相手も心の中でこう叫んでいたはずです。 (お前も、エライことおじいさんになったなぁ……)と。
他人の変化には目ざといのに、自分の変化には驚くほど鈍感。 人間とは、実に自分に都合よくできている生き物です。
身体は驚くほど「正直」に年を取る
顔の見た目がどうこうと言ったところで、身体の中身は誤魔化せません。 実に律儀に、正確に年を取っています。
まずは「目」。 私は加齢黄斑変性症という持病を持っています。 病名にド直球で「加齢」と入っているのが切ないじゃありませんか。病名からして「お前は年寄りだ」と主張してくるのです。 定期的に眼科へ通い、必要に応じて「目に注射」まで打っています。 目玉に注射ですよ? 若い頃の自分が聞いたら失神するような治療を、今では淡々と受けています。
眼科だけではなくお次は循環器内科のお話。 元々の脂質異常症に加え、今年から高血圧の薬もチームに加わりました。毎朝の薬服用がすっかりルーティンです。 若い頃は「顔を洗って、歯を磨いて、出発!」だった朝が、今では「血圧を測り、薬を飲み、状態を確認して、出発」。 まるで毎朝、自分の身体の『始業点検』をしている気分です。 まあ、点検したところで新品の部品に交換できるわけではないのですが、なんとか壊さないようにメンテするしかありません。
そして「頭髪」。 こちらも着実にカウントダウンが進んでいます。 昔は風呂上がりにドライヤーで乾かすのに結構な時間がかかりましたが、最近は一瞬で終わります。 「最近のドライヤーは性能が上がったのかな?」 ……違います。乾かす対象(髪)が圧倒的に減っただけです。 電気代の節約には貢献していますが、素直に喜べないのが切ないところです。
増えてほしくない「血圧と薬」は増え、減ってほしくない「髪の毛」は減る。 世の中、本当に思い通りになりません。
夜中2時の「精密すぎる体内時計」
睡眠の質もすっかり変わりました。 若い頃は布団に入れば朝まで爆睡。目覚まし時計を止め忘れて親に怒られたものでした。
ところが最近は、夜中の2時頃になると、決まって目が覚めます。 そして「トイレに行きたい」という欲求がやってくる。 目覚ましもセットしていないのに、身体が勝手に起こしてくれるのです。しかも毎晩正確に。 こんなに精密な体内時計があるなら、もう少し別の有意義なことに役立ってほしいものです。
夜中に起きてトイレに行き、また布団に入る。 そこからスッと寝直せれば良いのですが、どうでもいい過去の反省会などが頭を巡り、なかなか眠れない。 結果、朝起きると「なんとなく寝不足」。 老化というヤツは、毎日の生活の中で実にマメに自己主張してきます。
ジムに通う理由は「若返り」ではない
そんなボロボロの私ですが、最近ジムに通い始めました。
ジムに行くと、若い人たちが汗を流しています。 胸板は厚く、腕は太く、お腹は割れている。見事な肉体美です。 じゃあ、私もあのムキムキを目指しているのかというと……絶対に無理です(笑)。 今さら67歳の身体をターミネーターにする気もありません。
私がジムに通う理由は、もっと切実で現実的です。 「これから先も、自分の足でしっかり歩きたい」 「大好きな趣味を続けたい」 「車を運転して、妻と一緒にあちこち旅行に行きたい」 「家のちょっとしたDIYも、自分の手でやり続けたい」
そのための筋力維持です。 若者は「体力をつけるため」に鍛え、私は「体力を落とさないため」に鍛える。 やっているマシンは同じでも、背負っている目的が全く違うのです。67歳には67歳の戦い方があります。
若者は席を譲り、私はプライドを譲った
さて、話を電車の「事件」に戻します。
若者から「どうぞ」と席を譲られた私。 一瞬、「いや、大丈夫です!」と断ろうかというプライドが首をもたげました。立っていられないほど疲れていたわけではありませんから。
でも、ふと考え直したのです。 見知らぬ年配者に声をかけるのって、若者にとっても結構な勇気が要ることですよね。 「年寄り扱いするな!」なんて怒鳴る困ったシニアもいる世の中です。 そんなリスクを冒してまで、目の前の若者は親切心で声をかけてくれた。
だったら、その美しい善意を素直に受け取るのが大人のマナーというものでしょう。
私はニッコリ笑って、 「ありがとうございます」 と言って、ありがたく席に座らせていただきました。

後から考えてみると、なかなか味わい深い出来事でした。若者は自分の座っていた『席』を譲り、私はまだまだ若いという『プライド』を譲った。 お互いに、大切なものを譲り合ったわけです。
もっとも、彼が譲ってくれた席には「足を休められる」という実用的な価値がありますが、私が譲ったプライドなんて、何の役にも立たない自己満足に過ぎないのですが(笑)。
67歳。 目は悪くなり、毎朝薬を飲み、夜中2時にトイレで起き、ドライヤーの時間は秒で終わる。 身体のあちこちが悲鳴を上げていることは、自分が一番よく知っています。
それでも、心の中では「まだまだ若い気」でいたい。 同年代と並んだら「少しは若く見える方だ」と思いたい。 そんなささやかな自尊心を電車の中でポキッと折られた一日でした。
でも、席を譲ってくれた若者には心から感謝しています。 こういう親切を素直に「ありがとう」と受け入れられるようになったのも、歳を重ねて少しだけ丸くなったおかげかもしれません。
そして今回、一つ大きな学びがありました。 「高齢者」になるのは年齢で自動的に決まるけれど、「自分がおじいさんになった」と心が納得するには、もう少し時間がかかるようです。
席を譲ってくれた若者よ、本当にありがとう。 でもね、もし次にどこかで会ったときは……もう少しだけ若く見積もってくれると、おじさんの心がとっても助かります(笑)。 (まあ、また譲られたら速攻で座りますけどね!)


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