約30年ぶりの日米協調介入
7月初め、私はこんな記事を書きました。
「円安になるたびに政府介入。でも、その200兆円を借金返済に使ったらダメなの?」
政府は約200兆円もの外貨準備を持ち、5月のゴールデンウィークには約11.7兆円もの円買い介入を行いました。
しかし、その効果は長く続かず、円相場は再び160円台へ。
私は記事の最後で、「結局、介入だけでは円安は止まらないのではないか」と書きました。
ところが、その記事を書いてからわずか1ヵ月。
まさか本当に、約30年ぶりの日米協調介入が行われるとは思いませんでした。
競馬ならことごとく外れる私の予想ですが、こういう予想だけは妙によく当たります。
今回はアメリカまで動いた
今回の特徴は、日本だけではありません。
アメリカも円買いに参加しました。
日本はドルを売って円を買う。 一方、アメリカも自らの資金を使って円を買い支えたと報じられています。
つまり、「日本だけ頑張れ」ではなく、「今回は一緒にやろう」という形です。
日米が同じ方向を向いて為替市場で動くのは、実に約30年ぶり。 マーケットもこれには驚きました。
その結果、1ドル163円前後だった相場は、一気に155円台まで円高へ。
テレビでは、「介入成功!」という威勢の良い声も聞こえてきました。
でも、もう157円台
ところが昨日には、もう157円台。
この記事を書いている今も、「そのうちまた160円台に戻るんじゃないか」という空気が市場には漂っています。
5月もそうでした。 11.7兆円使って、しばらくすると、「あれ?また160円?」
今回も同じような展開になるのでしょうか。 もちろん先のことは誰にも分かりません。
しかし、為替市場には政府の予算など吹き飛ぶほどの巨大なお金が毎日動いています。
巨大なプールに向かってバケツで水を注ぎ入れ、「よし、水面が上がった!」と言っているようなものかもしれません。
なぜアメリカは助けるのか
ここで一つ疑問が湧きます。
アメリカは、「日本(同盟国)を助けるため」と言っています。 もちろん、それもあるでしょう。
しかし、それだけでしょうか。 私は少し違う見方もしています。
円安ということは、裏を返せば「ドル高」です。
ドル高が進みすぎると、アメリカ企業は輸出で不利になり、海外で売る商品が高くなって困ります。
それに、日本が単独で「ドル(米国債)を大量に売って介入」を続けると、アメリカの国債市場が荒れて、アメリカ自身の金利が跳ね上がるリスクもあります。
つまり、日本を助けることが、結果として「アメリカ自身の経済や市場を守ること」にもつながっているわけです。
国際社会は、「困ったときはお互い様」という美徳より、「助けると自分にも得があるから動く」という計算が働くのがリアルな姿なのかもしれません。
問題は介入ではなく、その先
私が本当に気になるのはここからです。
介入で一時的に円高になる。 これは理解できます。
しかし、半年後、1年後。 円はどこに向かっているのでしょう。
最近は、「食品の消費税率を1%に引き下げる」といった議論も聞こえてきます。
もし実現すれば、スーパーで買い物をする身としてはありがたい話です。
しかし一方で、国の税収は減ります。 社会保障費が増え続ける中で財政赤字が広がれば、足りない分はまた「国債発行(借金)」で穴埋めすることになります。
市場が、「日本はまた借金を増やして大丈夫なのか?」と疑いを持てば、日本円という通貨の価値はどうなるでしょう。
もちろん、為替は金利差や世界景気など様々な要素で動くので、「消費税を下げたら即・円安」という単純なものではありません。
しかし、「財政への不安が円安を招く」というリスクは、頭の片隅に置いておく必要があります。
年金生活者は今日もコーヒーを見る
政府は何兆円ものお金を使って円を守ろうとしています。 アメリカまで協力してくれました。
でも、年金生活者の私は、今日もスーパーの棚でコーヒー豆を見ています。
「また少し高くなったな。」
その感想の方が、ニュースの解説よりもずっと身近で現実的です。
為替が動いたことで、私のS&P500の評価額も少し落ち着きましたが、投資口座はなんとか耐えています。 一方で、毎月の家計簿は相変わらず泣いています。
介入は必要でしょう。 急激な坂道を転がり落ちるような円安を止める「ブレーキ」の役割はあります。
しかし、本当に円を強くしたいのなら、最後は介入ではありません。
市場が、「日本という国は、これからも成長するし財政も健全だ」と信頼できる国であり続けること。 それこそが、一番の円高対策のはずです。
介入は「消火器」です。 火事を消すためには必要ですが、火事そのものをなくすには「燃えにくい頑丈な家」を作らなければなりません。
日本経済も同じです。 消火器を何本準備するかという議論から、火事が起きにくい家をどう作っていくか。 これからの政治や経済の議論は、そこへ移っていってほしいものだと、コーヒーを飲みながら考えています。


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