― 私の一週間と7万円の衝撃
一週間の始まりの月曜日は裏切らない。だが、期待もさせない。
株式投資をしていると、月曜日の朝は独特の空気があります。
何かが始まりそうで、しかし実際には何も始まらない。
まるで、新しい手帳を買っただけで人生が変わる気がするのと似ています。
今週の私のS&P500連動投資も、そんな静かな始まりでした。
月曜日。
評価額は、先週末と比べて、ほんのわずかにプラス。
数字にして、数千円。
「ふむ。」
コーヒーを一口飲み、もう一度画面を見ます。
やはり、数千円。
コーヒー代が浮いたと考えればありがたいのですが、人生が変わるほどの金額ではありません。
いや、そもそも数千円で人生が変わるなら、私は今ごろ億万長者です。
火曜日、水曜日も似たようなものでした。
上がったり、下がったり。
しかし、その動きはあまりにも小さく、まるで株が私の様子を伺っているかのようです。
「この老人は、どこまで耐えられるのか。」
株はときどき、そういう意地悪な性格を見せます。
投資とは、退屈に耐える修行である
若い頃、私は投資というものを誤解していました。
毎日、大きく儲かるものだと思っていたのです。
テレビでは、
「本日の日経平均は500円高」
などと大げさに報じます。
しかし、実際に投資を始めてみると分かります。
ほとんどの日は、何も起きません。
静かなものです。
まるで、冬の池の水面のようです。
動いてはいるのでしょうが、目には見えません。
しかし、その静けさの下で、確実に何かが進んでいます。
企業は商品を売り、
人々は働き、
技術は進歩し、
世界は少しずつ前に進んでいます。
株価とは、その「人間の活動の総和」です。
ですから、毎日が劇的である必要はありません。
むしろ、劇的な日の方が危険な場合もあります。
リーマンショックの時などは、毎日が劇的でした。
そして、多くの人が市場から退場しました。
私は、そのような経験を経て、
「何も起きない日こそ、正常である」
と理解するようになりました。
そして木曜日。株は突然、人格を変えた。
金曜日の朝。
いつものように、コーヒーを片手に昨日の評価額を確認します。
そして、私は一瞬、数字を見間違えたのかと思いました。
前日比、プラス75,000円。
七万円です。
決して七千円ではありません。
七万円です。
思わず、画面を指でなぞりました。
消えません。
現実のようです。

前半の三日間、まるで昼寝をしていた株が、突然目を覚まし、全力で走り出したかのようでした。
株は、このように動きます。
静かにしていると思ったら、突然、大きく動く。
そして、その「突然」は、誰にも予測できません。
もし、私が水曜日の時点で、
「今週は動きがないな」
と判断して売っていたら、この七万円は存在しませんでした。
これは非常に重要な事実です。
株の利益の多くは、
「ごく少数の大きな上昇日」
によって生まれます。
そして、その日を事前に予測することは、誰にもできません。
株は、忍耐力のテストをしている
株式市場は、知識のテストではありません。
忍耐力のテストです。
多くの人は、株価が動かないと不安になります。
そして、売ってしまいます。
しかし、株価は、動かない期間の後に、大きく動きます。
まるで、弓を引くようなものです。
長く引くほど、矢は遠くへ飛びます。
今週の私の成績はプラスマイナスで九万円。
月曜から水曜までの静かな時間があったからこそ、生まれたものです。
株は、短距離走ではありません。
マラソンです。
いや、マラソンというより、散歩に近いかもしれません。
急ぐ必要はありません。
歩き続けることが重要です。
そして私は、コーヒーをもう一杯飲んだ
九万円増えたからといって、生活が変わるわけではありません。
昼食が鰻重になるわけでもありません。
いつものように、コーヒーを淹れました。
しかし、そのコーヒーの味は、少しだけ違って感じました。
株が上がったからではありません。
「待つことが、正しかった」
その事実を確認できたからです。

株式投資とは、未来を信じる行為です。
そして、今週の金曜日の朝は、
その未来が、ほんの少しだけ現実になった日でした。
-株は静かに動き、金曜日に笑う 後編 一週間で+7万円の裏にある関税違法判決の影響 に続く-



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