2011年3月11日の 東日本大震災 今年であれから15年になります。
3月になると、テレビでは必ずあの映像が流れます。
巨大な津波が町を飲み込み、黒い水が田んぼを覆い、車も家も一緒に流れていく映像。
何度見ても、胸が締め付けられます。
この震災では、死者19,775人、行方不明者2,550人(令和6年3月8日、総務省消防庁発表)
15年経った今でも、3月になるとその数字の重さを改めて感じます。
数分で終わった地震
地震そのものは、長くても数分でした。
その時、私は地下鉄池袋線で豊洲駅に向かって、月島駅に着いた地下鉄に乗っていました。
手すりを持っていないと倒れそうになるくらいに電車は揺れ、その後、
「豊洲駅まで向かいます」のアナウンスが流れ、
ちょうど東京湾の海底を走る区間。
トンネルにひびが入り海水が流れ込んできたら絶対助からない。と恐怖でした。
豊洲駅で降り、地面が液状化した水たまりの道路を親戚の居る文京区まで歩き、一晩泊めさせていただきました。
そして、東北では、その数分で、町が消え、多くの命が奪われました。
地震や津波は、自然災害です。
人間の力では止めることはできません。
ただ、自然災害には一つ特徴があります。
**「災害そのものは、いつか終わる」**ということです。
台風も、豪雨も、地震も、
いつかは過ぎ去ります。
しかし、この震災には、もう一つの災害がありました。
終わらない災害
それが
福島第一原子力発電所 の事故です。
原子力発電所の事故は、普通の災害とは少し違います。
地震は数分、津波は数十分。
しかし原発事故は、
数十年単位で続く問題になります。
廃炉作業は、現在「30年〜40年」と言われています。
つまり、事故から40年近く経って、
ようやく一区切りが見えるかどうか、という話です。
人間の人生より長い時間です。
自分は何も悪くないのに
原発事故で最も重い問題は、
「自分は何も悪くないのに生活が変わってしまった人がいる」ということです。
福島では、多くの人が避難を余儀なくされました。
住み慣れた町を離れ、
仕事を失い、
コミュニティも変わりました。
15年という時間は、決して短くありません。
子供は大人になります。
家族の形も変わります。
それでも、元の生活には戻れない人もいます。
災害という言葉では、少し足りないような気もします。
15年という時間
15年というと、どのくらいの時間でしょうか。
例えば、大学を卒業した新社会人が、会社でベテランと呼ばれるくらいの年月です。
車なら2台くらい乗り換えています。
家電も、ほとんど買い替えています。
しかし、福島の原発事故は、まだ「途中」です。
廃炉作業は、今も続いています。
途中どころか、まだ序章と言った方が良いかもしれません。
災害には二つの時間がある
私はこの震災を考えるとき、
災害には二つの時間があるように思います。
一つは
「短い災害」
地震や津波のように、突然起きて短時間で終わるものです。
もう一つは
「長い災害」
事故処理や復興のように、
何十年も続く問題です。
3.11は、この二つが重なった災害だったのかもしれません。
私たちができること
では、私たちは何をすればよいのでしょうか。
正直に言えば、個人ができることは多くありません。
ただ、忘れないことはできます。
3月になると震災のニュースが増えますが、
それは「思い出すきっかけ」なのだと思います。
人は時間が経つと忘れてしまいます。
しかし、忘れないことも大切なことです。
15年目の3月に思うこと
3.11から15年。
当時の映像を見ると、
今でも言葉を失います。
死者、不明者は2万人以上です。
そして、震災の影響は今も続いています。
地震は数分でしたが、
その後の問題は数十年続きます。

それが、今回の震災のもう一つの現実なのかもしれません。
3月11日が近づくと、
少しだけ立ち止まって考えます。
あの日のことを。
そして、今も続いている問題のことを。



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