雑踏で平和を感じる瞬間
私の週に二度のお勤め先は、東京駅の東側、東京証券取引所が半径1キロ圏内に収まるあたりにあります。
仕事の中身は金融とも相場とも無縁なのですが、街に一歩出れば、黒や紺のスーツに身を包んだ証券マン、銀行マンが、まるで定期的に湧き出す地下水のように行き交っています。
その光景を眺めながら、私はふと、こう思うのです。
「ああ、平和だなあ」と。

平和といえば、普通は遠くに雪をいただいた山々が連なり、足元には清らかな小川がさらさらと流れる。
里山の小道あたりで感じるものかもしれません。
しかし近年、その「絵に描いたような平和」の中を歩くと、今度は熊に襲われるリスクがついてくる。
のどかさにも、もはやヘルメットが必要な時代です。
私は半径500メートル以内に他人の家がないような田舎で育ちました。
夜になれば闇は完全武装、虫の声がBGMという環境です。
にもかかわらず、今では東京の雑踏の中で、どこか懐かしさと平和を感じてしまう。
人間とは、勝手な生き物です。
日本人の誇りとは
一方で、世界に目を向ければ、夜であろうと関係なくミサイルが飛び、寝床が突然戦場になる場所があります。
同じ国の人間同士が、銃や催涙弾を向け合い、怒号と憎悪をぶつけ合っている地域も少なくありません。
むしろ、そうした紛争が存在しない国や地域のほうが、今や稀有な存在なのでしょう。
その意味で、日本はこの数十年、間違いなく「稀有な場所」でした。
私は、その国で生まれ育ったことを、素直にありがたいと思っています。
ただし、それは誇りとは少し違う。
私の努力で平和を勝ち取ったわけではありません。
たまたま両親が日本にいて、たまたまその時代に生まれただけの話です。
世の中には「日本人であることに誇りを持て」と力強く言う人もいます。
ですが、無努力・無関与・完全なる偶然で手に入れた属性に、胸を張るほど、私の誇りは安売りされていません。
誇るなら、もう少し自分の汗が混じってからにしたい。
為政者へのお願い
さて、今後の政治情勢を見ると、第一与党が過半数を占める勢いだとも言われています。
防衛費をマシマシにしたタカ派政党が主導する時代です。
さすがに徴兵制などという、時代錯誤の骨董品を引っ張り出す気はないでしょうが、80年前とは違い、戦争を望む国民など、もはやどこにもいないはずです。
少なくとも、私の周囲で「ぜひ一戦交えたい」などという人には、まだ出会っていません。
どうか為政者の皆さまには、威勢のいいスローガンよりも、静かな日常を守るという地味で骨の折れる仕事を、国民の総意に基づいて続けていただきたい。
今日も東京の雑踏で、スーツの波を眺めながら、私は思います。
この「退屈な平和」こそが、何より尊いのだと。
平和主義者の投資成績
そんな平和主義者の昨日の投資成績です。

先月の落ち込みを少し取り戻しつつあります。
まずは、目指せROI(投資利益率)100%です。



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