-奇数月に年金を受け取るという考え
偶数月15日のテレビの定番
夕方のニュースで、よく見る光景があります。
偶数月の15日。
スーパーの精肉コーナーで、私と同年代、もしくは少し先輩と思しきご夫婦が、ちょっとだけ良いお肉をカゴに入れながらこう言います。
「今日は年金が入ったからね。少し贅沢しようか。」
その映像に、私は思わず頷きます。
そうです。
偶数月の15日は、年金の支給日です。

私の口座にも、2か月分まとめて、どん、と振り込まれます。
まるで、子どもの頃にお祖母ちゃんから渡されたお年玉のように。
「2か月分だよ。すぐに使っちゃダメだよ。」
そうです。通帳を見ながら、誰も言っていないのに、心の中でそう聞こえるのです。
なぜ2か月に1回なのか
なぜ毎月ではなく、2か月に1回なのか。
なぜ月末でも月初でもなく、15日なのか。
そして、なぜもう少し多くないのか。
細かい制度の話は専門家にお任せします。しかし、ひとつ確かなのは――
きっちり振り込まれる。
これは本当にありがたいことです。
若い頃は「どうせ将来もらえない」と、どこか疑っていた私ですが、今は静かに頭を下げたい気持ちです。
ただし。
問題は、奇数月です。
奇数月は誰も振り込んでくれない
偶数月は公的年金。
では奇数月は?
答えは簡単です。
自分で用意するしかありません。
これが「自分への投資」の意味だと、今になってようやく分かりました。
私は、40年以上働いて納めてきたときの公的年金があります。
その額には、到底かないません。
しかし――
3年間の投資で増やした資産を、奇数月に少しずつ取り崩しています。
公的年金の3分の1にも満たない額ですが、それでも確かに「自分で作ったもうひとつの年金」です。
偶数月は国から。
奇数月は過去の自分から。
この構図、なかなか悪くありません。
もし10年続けていたら?
ふと、こう思います。
もし投資を3年ではなく、10年続けていたらどうなっていたのか。
単純計算で3倍強。
もしかすると、今の年金額と同じくらいを奇数月に取り崩せたかもしれません。
……面倒なので正確な計算はしません。
そうです。計算しないのが、私の悪い癖です。
しかし、ひとつだけ言えることがあります。
始めるのが早いほど、未来の自分が楽をする。
これは間違いありません。
若い人は老後に興味がない
若い人にこの話をすると、だいたいこう返ってきます。
「そんな先のこと、まだ興味ないですよ。」
分かります。
私も若い頃はそうでした。
老後なんて、遠い惑星の話のように感じていました。
しかし今の若い人は、医学の進歩という強力な味方がいます。
ほぼ間違いなく、私たち世代よりも長生きするでしょう。
つまり――
老後が長くなる。
これは祝福であると同時に、現実でもあります。
しかも、公的年金の受給環境は、今より厳しくなる可能性が高い。
受給開始年齢は延び、実質的な給付水準は抑えられるかもしれません。
だからこそ。
偶数月だけに頼らない人生
偶数月の15日を楽しみにするのは悪くありません。
少し良いお肉を買う。
ちょっとだけ贅沢をする。
それは人生の潤いです。
ですが、奇数月にも笑える仕組みを持っているかどうかで、老後の安心感は大きく変わります。
自分に対する投資は、派手ではありません。
SNSで自慢するような話でもありません。
けれど、10年後、20年後の自分が、
「ありがとう、あの頃の私」
と言ってくれる可能性を高める行動です。
未来の自分に振り込み
偶数月の15日。
通帳の数字を見て、少し安心する私。
そして奇数月。
静かに取り崩しながら、少しだけ誇らしくなる私。
未来の自分に振り込めるのは、今の自分だけです。
始めるのに、遅すぎる日はあっても、
早すぎる日はありません。
若い方も、そうでない方も。
奇数月の自分年金、
そろそろ準備してみませんか。



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